わたし ”のら” について簡単にご紹介します。
【どのような症状を持ってるか】、【どのような考え方に至ったか】を簡単にまとめておりますので、このブログでの内容の前提になるかと考えています。
アトピー発症時期
3歳ごろ。手をよく掻いていたことを母親が発見したのがきっかけです。
なお、今現在も手については、寝ている無意識のうちに掻くことが多いです。そのため、アトピーがひどくなるときは、【手からひどくなることが多い】です。
一番悪かった時の状況
大きな時期にわけると、小学生・大学生の頃の2回ありました。
[小学生]
手を中心に皮膚の薄いところが掻き傷だらけでした。傷を隠すガーゼは常に貼っていました。寝た後はシーツのそこらじゅうに掻き傷からでた血がついていて、粉がかなり落ちていました。
[大学生]
身体が全体的に乾燥肌になっていたので、ほぼ全身的に掻いていました。掻き痕や傷がいたるところにあったので、それらを隠すように長袖長ズボンを履いていました。
現在の状況
治まっていたアトピーが5年(2017年のことです)という月日の殻を破ってぶり返しています。症状は、顔を除いた身体全身的にでていて、乾燥肌ではないけどかゆいといった状況です。今までの症状と違うようにみえるので、日々時分の身体を見つめて治療を続けています。ただ、外見ではアトピー有症者とはわからないとよく言われます。
自分の生きてきた流れを”起承転結”に分けて追っていきます。
<起:園児・小学生>
アトピーは3歳ごろに発症しました。きっかけは、手の掻き傷を心配した母親が皮膚科に連れて行ったところから始まります。手や関節など、皮膚が薄いところが特にひどく、全身かゆみに襲われていたため、常に掻いていました。かゆかったら抗うことなく掻いていましたし、母親は掻いていたら優しく「掻くのを辞めなさい」と手を添えて言ってたり、傷ができれば塗り薬を処方して上からガーゼを貼ってくれていました。これらの行為は”こういうものなのだ”と感じていましたから、”自分だけなんで?”と悲観的にもならず特に何も考えていなかったと思います。
小学生の頃は、アトピーが治まることはありませんでしたが、友だちに恵まれていたからかいじめや外見についてしつこく言われることがなかったので、アトピーを特段気にすることもなく過ごしていました。ただ、今でも覚えているのは、体育の授業の水泳が好きではなかったということです。男子は上半身も裸なので余計に気になりますし、時々掻いていましたら友だちから「掻かないほうが良いよ」と言われたこともあります。また、プールに撒かれる消毒用の塩素玉は、かなりの数を入れていたのでとても肌にしみましたことも覚えています。
<承:中学生、高校生>
中学生の頃は、ほとんどの生徒が部活動に入るような学校でしたし、母の勧めもあって、テニス部に所属していました。中学校3年間は欠かさず放課後も休日も、常に部活に打ち込んでいました。
よく身体を動かし練習も外がほとんどで陽に当たることが多かったためか、アトピーはかなり治まっていました。ただ、乾燥だけは変わらずあり、寝るときや運動しているときには、カサカサの粉はかなりでていました。
一番ショックだったできごとがありました。学生服よりも学校指定の長袖長ズボンのジャージを着用してた時間が長かったのですが、体育の授業で着替えのときにわたしのジャージを勝手に友だちが奪い取り、ばっさばっさと払い、ジャージに付着した粉が舞ったときに、「お前のジャージは埃がすごい」と言われたことです。よく肌がカサカサだねとは言われていましたが、こういうふうに何気なくされていた行為が今でも心に苦い思い出として残っています。
高校生になっても継続してテニス部に所属し、部活のテニス漬けな日々を送っていました。周りのクラスメイトにも大変恵まれて、毎日が楽しすぎて、アトピーは完全に収まっていました。ただ、3年生の夏休みには部活を引退して運動を日常的に行わなくなると、大学受験が終わったあたりから徐々にアトピーによるかゆみが復活していました。
時分では気になってなかったのですが、修学旅行中に友だちに「夜中掻いてたよ」と言われたことがきっかけで気づきました。それでも、ほとんどアトピーやかゆさとは無縁の状態でした。
<転:大学生・社会人>
大学の専攻はコンピュータ専門の学科に入学しました。それまでは、ほとんど電子機器をいじらなかったのですが、インターネットの楽しさを覚えて、ろくに運動もせずに家に引きこもりパソコンをいじくり倒す生活を続けてしまいます。卒業論文を作成する時期にもなれば、昼夜逆転の生活になり、昼過ぎに起き朝日が顔を出すまでパソコンと向き合う、起きてる間も間食が増えるなどのかなり不規則な生活を送っていました。そのためか、アトピーはかなり悪化しました。乾燥肌でカッサカサになり、粉はかなりの量がでていました。そのときは対処法も全くわからず、母親に勧められた馬油やワセリンなどの保湿剤を中心に塗ってましたが、馬油を顔に塗れば顔が真っ赤になったり、ワセリンは身体がべたつくだけで何も効果を生みませんでした。
ただある日、ふと思ったのです。
”なぜ高校生のときは、アトピーがでてなかったのか?”
”なぜ大学生になって、アトピーが復活したのか?”
このあたりから自分のの身体、特にアトピーについて興味をもち、どうやればアトピーが良くなるか・身体の成り行きを振り返ったりしました。
分析の仕方は至って簡単で、「高校生時(見本)」と「大学生時(改善点)」の自分を生活スタイルや体に関する観点から徹底的に比較することです。この2点間、時間にすれば6年ほどに上る歳月を比較すると、以下のことがわかりました。
<高校生のとき良かった点>
・[生活スタイル]学校による規則正しい生活
・[食事]規則正しい時間に偏りのない栄養(弁当)を摂取していた。
・[運動]適度な運動を継続的に行っていた。また、外で陽をよく浴びた。
<大学生のとき悪かった点>
・[生活スタイル]昼夜逆転して行動時間が不規則な生活
・[食事]夜中に食事を摂り、間食を摂ることが多かった。
・[運動]筋トレを中心に部屋の中で行い、時々やっていたジョギングは夜中街灯の中。
この3軸を中心に、なるべく高校生の生活へ戻るように生活習慣を見直し常に心掛けるようにしました。大学生3年生の頃から徐々に見直し、社会人1年目の夏ごろにはアトピーはかなり治まりました。この時点ではほぼ完治したといっていいほど、アトピーの症状も痒さもまったくなく病院へは行く必要がなくなりました。
改善点3軸のうち一番重要だと思っていたのは、[運動]です。【高校生のアトピーが治まっていた時期は、陽を浴びて運動していた】という事実に気づいたのがきっかけです。
理由としては、アトピーの人は生まれつき健常者の1/7の皮膚の薄さであることを知り、「健常者のなんともないこと」が「アトピーの人にとってかゆい」と感性が高くなってることが大きな原因と考えました。
そこで、皮膚が健常者より薄いという事実から、アトピーの症状を抑えるアプローチを【皮膚を硬くする】としました。そのために、紫外線が強い春終わりから夏にはなるべく朝早く起き、運動やジョギングなどは日が照ってる午前中に行うように習慣を変える努力をしました。
また、陽が出てるときは積極的に日向ぼっことしてベランダなどで裸に近い姿で寝そべってたりしました。この習慣を続けるうちに、肌は日焼けして小麦色になり、同時に皮膚が硬くなったことでアトピーは治まったと実感してます。
この習慣は社会人になっても変わらず守り続けていました。そのおかげで5年間はほとんどアトピーやかゆさから解放されていました。
「結」はこれらから学んだことをまとめます。
身体についての新たな発見ができる
アトピーとは、健常者から見れば”可哀想”な症状だと思われがちな印象を持っています。確かに、アトピーで身体が悪化してきたときは”嫌だな”と思ってしまい、健常者も気にしてくる場合が多いですが、自分は逆の発想で
”健常者よりも身体のことについて考える・知れるチャンスをもらっている幸運な症状”と捉えています。
自分の生活習慣やアトピーが悪化したときの対処法や原因分析をしたときに、時分の知らなかった身体についてのことを新たに発見したときは、”自分の身体についてまた一歩深く知れたな”と感じています。
”治る(なおる)”ことへの認識を変える
人生を振り返ると、アトピーは治って悪化してを繰り返したので、”アトピーが治る(なおる)”という考えは一概にいえないと考えてます。アトピーは”治す(なおす)”や”治る(なおる)”ではなく、”抑える”または”治まる(おさまる)”と捉えています。”治った(なおった)”と思ってる人は、自分なりの対処方を見つけて実践を続けているか、身体の成長とともにアトピー自体の症状が変わったもしくは弱くなったとも考えられるためです。なので、アトピーは常に身体には潜在していることを意識して、治まる努力を続けることが重要なのではないかと考えています。